またGyao!で映画を見ました。このところ、毎週末こんな感じです。フランスの老夫婦の物語です。夫婦で音楽家だったのでしょうか。
気に入った言葉「明日にしよう、良い気分が台無しになる」
出だしから非日常に見るものを誘います。初めは悪い意味で。こちらは、開始早々に悪い出来事が起こった際の夫の言葉です。夫婦でコンサートを聴いて、帰ってみたら泥棒に入られていた。その時に奥様が、管理人に伝えようかと言った際の返しです。いつかはこんな言葉を使ってみたいものです。そしてその後のなにげない一言「今夜の君は、きれいだったよ」フランスの伊達男はいくつになってもこのような歯の浮く言葉を口にするのかと思うと、脱帽です。不安がる奥様の気をそらそうとしたのでしょうか。その後の描写では眠れていなかったようですね。
老々介護
そして話は本題に移ります。奥様の体に老いがやってきます。もしかしたら、はじまりの不安の描写のせいだったのかもしれません。いつも通りの日常から、まさに転がり落ちていくかのような描写の連続でした。そして、奥様は病院が嫌いとのことで、優雅なアパーオで老々介護が始まります。そういえば、私の母親も病院とか施設は嫌だと言っていたように思います。今度実家に帰った時には二人の思いを確認しておこうと思います。。 話は戻って、老々介護は二人の話なので、たとえ血を分けた子供といえど口を出さないでほしいという話でした。これについては夫婦の関係性と、親子の関係性から、少なくとも私の家族とは違う状況のようにも思いますが、一つのケースとして、勉強になります。いや、勉強になりました。
どこまでを許容できるか
老々介護のつらいところは、ゴールが病気の前への復帰ではなく、人生の終焉をどのように迎えるかの話になるところでしょう。介護の始まりのときはまだ悲観的ではないかもしれませんが、少なくとも悪くなっていった先では、余裕がなくなります。自分自身だってお爺さんなのですから、体力もなくなりますし、そして長い人生でもこんな状況には陥ったことはない。心身ともに疲弊していきます。
文化の違い
訪問介護を頼んだり、お手伝いしてもらった時にはチップを渡したり、日本と文化は違うでしょう。奥様の容態も悪くなって、訪問介護のお願いを増やした際、自分勝手な女性が来た際の言葉も衝撃を受けました。発端は、奥様の髪をブラシでとかしている際に、無理やりに伸ばしていたり、その姿を無理やり鏡で魅せようとしたことでしょう。もちろん奥様は女優の演技ですが、置いた自分の姿を見るのは嫌なものでしょう。そんなときの旦那さんの言葉がしびれますね。フランスの男は頭が切れるというか、なんというのかあくまでも訳者の言葉の選び方かもしれませんが、このような状態を招いた訪問看護の女性に「無能」という表現を使ったり、なぜ自分が首になったか理解できない訪問介護の女性が「私はプロの仕事をしている」と言って旦那さんをののしりだしたときに返した言葉もまたしびれました。「将来、君が同じ扱いを受けるよう願っている」2,30代くらいのこちらの役の女性は、まさか自分がこのような姿になるとは想像できないのでしょうね。完ぺきにこなしているその道のプロのはずなのに。おそらくプロをはき違えてらっしゃるのでしょう。看護を受ける人、そしてその家族というものを考える必要があるかと思います。あくまでも介護という仕事ではお客様対して体を洗ったりするわけですが、そういった目に見える仕事以上に、心のケアが必要なんだろうなと思う一幕でした。