ブログを書こうと決めて早2年。はてブさんからそんなメールが届きました!「書き残そう、あなたの人生の物語」とのことですが、独り身のつぶやき的なブログから脱却したいなと思う今日この頃。当面の目標は「彼女と付き合いはじめて一ヶ月が経ちました」的なことを書くことですね笑。
書評「「1日30秒」でできる新しい自分の作り方」
最近は多読しています。少し前は何か正体のわからないものに不安を感じていましたが、メンタルトレーニング系の本を読むことで、解消に向かっている気がしています。今回ご紹介するのは「「1日30秒」でできる新しい自分の作り方」です。元オリンピックメダリストである著者でも、私と同じように悩むんだなと、親近感がわいたように思いました。
感想
P.24 そうなりたいと自分で決めているから
自分自身でネガティブな自分になることを望んでいるという、いきなり頭を殴られたような感覚になりました。思い当たる節だらけです。「人(特に女性)と話すのが苦手」「○○はできるけど、××はできない」といわけばかりしてきました。しかしながら、自分自身をブレーキする必要もなければ、先に言い訳を作って、行動しないことにあまり意味がないことに気が付きました。今の自分を客観的に見ることができる能力は必要ですが、まずはその自分らしさを認めてあげて、そして前向きに「こうなりたい」という目標を持てばよいのだなと思いました。
P.25 心の4つのサイクルとは
刺激に対して、感情や身体的な反応をすると思っていました。しかし、その間には「刺激に対する評価」と「評価からくる感情と身体に対する反応」があるとのことでした。刺激に対してどのように受け止めるかは評価で決まるとのこと。この部分を読んだときに、私は「反射」という単語が頭に浮かびました。深層心理的と言うのか、自分の意識しないところで反応が決まっている=反射的に物事をとらえていると。しかしながら「自分の考え方次第」で評価の部分は変えられるということが分かり、その力であるコーピング(coping=対処する)は重要だなと感じました。
P.43 【評価がゆがむとどうなるか?】
ネガティブな人はどのように上述の評価について考えているのかを図示されています。通常の人が行う評価は「叱られると悲しい」や「失敗するとショック」「期待されると張り切れる」など『原因と結果』という形式で書かれているのに対して、評価がゆがむと単に「嫌われる」「叱られる」となっていたり、「自分は」最低な人間というような『結果』の部分しか書かれていませんでした。それでは、どのような刺激が来ても、それを原因としてどのような場合にも同じ『結果』となるようでした。そんなことでは、ネガティブになりますね。文字にしてみるとなんだか腑に落ちました。
P.52 「コーピングの観点からの対処で言うと、別に強火になってもいいのです。」
著者は感情のコントロールをガスコンロで例えるようです。次の文章を読んでなんだか救われた気持ちがしました。
怒りたければ怒ってもいい。しかし、後で取り返しのつかないことにまで事態を悪化させることは、結局本人が損害をこうむることになるので、コーピングが必要なのです。
これまでの私は、評価の部分を意識できていなかったので、事態を悪化させるまで現状を認識していませんでしたし、事態が悪化してからでないと反省をしてきませんでした。激しく同意します。例えば感情を隠すのではストレスが溜まりますし、怒りたければ怒ればよいと、でも、それが自分のためになるのか、あるいは目標を達成するために必要なのか、逆に邪魔をしていないかと冷静に考えなければならないなと感じました。あるいは、反応をする前委に俯瞰して物事を見られるかが大切なのだと思いました。これまでの、目の前の現象に対して闇雲に対応してきたことに反省します…。
P.68 セルフトークとは?
電車に乗っていて、きれいな人がいて、声をかけるようなことはしないことについて、自分なんかが声をかける何て、と自分に言い聞かせて、声をかけないことを選択していましたね。とは言うものの、今後も声をかける勇気が持てるかは疑問ですが(笑)。しかしながら、どれだけ素敵な人に見えたとしても、無意識的にその後の対応が決まっていたのでは、彼女なんてできるわけがないのです。学生時代であれば、部活の勧誘など目標や目的を明確にしていれば声をかけたのです。ということは、明確な目標があれば私もナンパできる!?下心がにょきっと出ないようにしなければ!何気ない行動にも、おそらくはちっちゃいおっさんの声が頭に響いているんだろう。この声に気が付けるようにならないとな。。。
P.81 (笑ったところ)
この本を読んでいて一番笑ったところ、と言うか電車で噴出してしまった表現をご紹介します。
「他人の気持ちは変えられないので、それを変えようとすることは非現実的であり、無駄な努力である。」
特に最後の「無駄な努力である」にはインパクトがありました。この言葉はいろんなところで耳にしていましたが、心のどこかで他人は変えられない、「でも」何かできるのではないか、とどこか思うところがありまして、特に仕事などではその傾向が強いですがね。
p.116 理想のイメージを強化する
三つの願いを言え…、と言われても一つも出てこないですね。嫌な大人になったものです。仕事に趣味に家庭に、それぞれ目標、ではなく理想というか夢を持ちたいですね!まあ家庭と言っても現状は一人世帯ですが(笑)。そんなことを思う木曜日の朝。こんなところで切り上げます。
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約36文字x14行x179ページの書籍です。2019年9月8日から読み始めて、全部で3時間程度で読めました。
書評「日本人の誇り」
下書きストックに出せそうなのが残っていたので、放出…。 最近は新書というものはあまり読んでいませんでしたが、持ち運びやすいものという観点から、いくつか古本屋で買ってみました。こちらは読了まで2019年04月13日から22日までで累計3.5時間かかりました。こちらも名前に惹かれ読んでみました。数学者が書いているということで、話の流れはとても明瞭です。ただし、取り扱っている内容が歴史的な事柄が多く、その歴史的な内容がピンと来なかったのは、学生時代から歴史の勉強をしてこなかったせいです。前にも同じようなことを書いた気がしますが、歴史の勉強って大事だと実感します。単語もすべて見聞きできるのに内容が分からないため話についていけないというのは、もはや何を言っているかすらわからない外国語で話しかけられる以上に、劣等感を受けるのかもしれません。「暗記物は好きになれない、ググればいいんだ。」なんてほざいていた過去の自分には、将来こんなんになっちゃうぞ、と忠告してやりたいですね。ただし、私自身に歴史的な出来事に対する知識がないため、あるいはそのおかげで中立的な位置からこの本が読めたのは唯一のメリットだったのかもしれません。歴史を知っていればば別の見方もできたのかもしれませんが。。
読んでいて感じたこと
著者はとても日本人に誇りを持っているということは言うまでもないように思います。例えば戦争に関する記述もあるわけですが、当時の当たり前の範疇であったというような論旨です。そのうえで、現在の価値観に照らし合わせてその行為が野蛮であったかどうかというように書かれていたと思います。とても読みやすい。そして、事実であるかは私にはわかりませんが、日本という国が戦争というか、帝国主義の世界にたたき出されたという書かれ方をされていました。それが本当であるのならとても怖いことですし、人を喧嘩に巻き込むのは野蛮と言わざるを得ないですね。そもそも、豊かさとは何かを考えていかないといけなかったのだと思います。物質的な成長というのか、例えば鉄道を作り、これまでとても時間のかかっていた輸送を、短時間にできるようになった。だから栄えているのかということですが、あくまでも「大量のものを短時間に運べるようになった」のであって、そして、その事実に対して価値を感じる人が多いから、お金になるのであって、それが豊かかどうかは別の話であると思わざる負えません。親戚のおばさんが、新幹線は嫌いだと言っていました。あっという間に着いてしまうからと。趣きと言いますか、ある種の余裕が今の世の中にないと思うのは私だけではないと思いますが、あっちに行って何をする、こっちに来て何をする。もちろん私も平成生まれ、現代っ子ですから、各種のソーシャルメディアのアカウントは持っています。おいしいものの写真や、美しいと感じた景色の写真などをあげることもありますが、ここぞとばかりに写真を撮り、あげていく行為に何の意味があるのでしょうか。
意味を調べた言葉
読みやすい文章なのに読了までに時間がかかってしまった一因は、漢字を含め意味を知らない単語が多かったからですね。こちらも勉強不足、調べていたら時間がないので、やはり覚えていることに越したことはないですね。反省orz。
- さもしい
- 教育勅語(きょういくちょくご)
- 媒酌(ばいしゃく)
- 錯綜(さくそう)
- 一気呵成(いっきかせい)
- 翻字垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)
- 惻隠(そくいん)
- 換骨堕胎(かんこつだたい)
- 質樸(しつぼく)
- 習俗(しゅうぞく)
- 慨嘆(がいたん)
- 詠嘆(えいたん)
- 和魂漢才(わこんかんさい)
- 和魂洋才(わこんようさい)
- 瞠目(どうもく)
- 苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)
- 無辜(むこ)
- はしっこい
- 難詰(なんきつ)
- 傲岸不遜(ごうがんぶそん)
- 比肩(ひけん)
- 披瀝(ひれき)
- マッカーシズム(赤狩り)
- 掠奪(りゃくだつ)
- 歩哨(ほしょう)
- 誰何(すいか)
- 無辜(むこ)
- 小癪(こしゃく)
- 共同謀議(きょうどうぼうぎ)
- 欺瞞(ぎまん)
- 悄然(しょうぜん)
- 酷薄(こくはく)
- 東トルキスタン
- 版図(はんと)
- 東夷(とうい)
- 群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)
- 跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)
- 排外(はいがい)
- 斟酌(しんしゃく)
- 蚕食(さんしょく)
- 無知蒙昧(むちもうまい)
- 傀儡政権(かいらいー)
- 岳父(がくふ)
- 拙劣(せつれつ)
- 嘆息(たんそく)
- 恐懼(きょうく)
- バーター
- 糊塗(こと)
- うっちゃり
- 媚態(びたい)
- 最後通牒(さいごつうちょう)
- 気息奄々(きそくえんえん)
- 惻隠(そくいん)
- 軍閥割拠(ぐんばつかっきょ)
- 燎原の火(りょうげんのひ)
- 紫禁城(しきんじょう)
- 宿痾(しゅくあ)
- 面目躍如(めんもくやくじょ)
- ドグマ
- 頽廃(たいはい)
次に読み広げたい本
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とても読みやすい本ですので、歴史への興味=意欲を心に植え付けるためにまず読んでみるのも一案化と思います。トッピングをしたラーメンを買う値段で、人生観の厚みが得られると思えば安いものです。
映画「0.5ミリ」(2019/08/03、Gyao!にて)
今週も一週間頑張りましたので、土曜日はゆっくり。例のごとくGyao!にて映画鑑賞!ちなみに昨日は、横浜でディープなお店で一杯というか三杯。さて本題。Gyao!の説明文の書きぶりのような、と言うのか実際のセリフなのでその字義に比べると、とても考えさせられる内容の作品。3時間を超える映画ながら、所々で区切りがあり、その都度考えされる作品でした。とは言え「家族で見よう!」というような作品ではないと私は思いますね。
老人とエロス
老人と言えども下心はあるわけで。というよりは人生観の凝縮したものであるような気もします。人間生きていればそういうことも思うわけで、それとどのような折り合いをつけるのか、戦前の世代の方々は抑制の大きかった世代だと思いますし、私は平成生まれですが、そのようなきらいがあります。最近では、意外と自分の中にこれまで抑えていた感情があることに、戸惑っていますが、ボケるまでには自分なりの折り合いのつけ方を見つけたいですね。
エロスのその後
ボケてもエロスという話をしましたが、話の主題はエロスではありません。人生観や人のつながり、人の隠している感情についての悩みについて、懸命に生きていく姿を観ていくことになります。最近の言葉で言えば「エモい」ものが見られます。
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映画を観ても、何度も見ようと思うことはほとんどないのですが、こちらの作品は今後の自分がどのように感じるようになるか、経緯を追っていきたいと思える作品でした。
映画「髪結いの亭主」(2019/07/21、Gyao!にて)
例にもれず、週末の息抜きにGyao!にて映画鑑賞。こちらの映画を観て感じたことを書いていきますが、勘ぐっているような記載もあるかもしれませんので悪しからず。。そして、ネタバレな感もありますので、ご注意ください。
まずは言葉の定義から
髪結いは床屋さんのことですね。そして女性でも生計を立てていくことができる数少ない職業とのこと。髪結いの亭主、こちらですがいわゆるヒモのことなのですね。見終わってから調べましたが、確かに主人公の男性は働いている感じがしませんし、子供の頃の回想シーンで親に将来の夢は何かと聞かれ、髪結いの亭主になると答えると即刻ビンタされてしまいます。
二人の髪結いの女性
幼少期の回想シーンと、現在のシーンにそれぞれ髪結いを生業とする女性が出てきます。幼少期に恋をする髪結いの女性は、私の好みの問題かもしれませんが、ふくよかで愛嬌のある方だと思いますが、二人目のヒロインのように美人という分類とは別であったように思います。しかしながら、子供心に大人の女性に恋をして、おやじにビンタをされても呆けてしまえる程に、この髪結いの女性を好きだったのでしょうか。割れたガラスを踏み越えて、床屋の椅子に座る少年の目には、そこにいることに対する執着が見られるようでした。独り身と言うのか、髪結いの仕事をしている女性というのは、社会的に弱者だったということなのでしょうか。最終的には破滅的な人生をたどることになるこの二人の女性ですが、そんな不安な状況に耐えられなかったのでしょうか、と思う次第です。
愛の形
まず、こちらの映画は、親子で見ない方が良いでしょう。濃厚にそういった描写が描かれています。フランス映画というものは、こういうものなのでしょうか?1990年の作品で、フランスが舞台ということで、まったく背景をイメージできないのですが、性に対して大らかと言えばいいのか、現代社会では非難されかねない表現の仕方をしていたりするわけで、そういうのはどうなのかなと。
特に思うこと
ここから特に勘繰ったことを書きますが、主人公について、中程度の精神障害があるのではないかと感じたんですね。言葉は話せるし、クロスワードパズルをやるくらいの知能もあるし、散髪屋さんでの計算もできる。それなりに会話もできるのですが、周りの世界を受け入れているように見えて、自分の世界で話が完結してしまうところや、奥さんの不幸に対する反応が、あくまでもこれまでの生活の延長線上に見えて、あくまでも髪結いの女性と結婚したに過ぎないのではと思ってしまうますね。自分のこだわりで、スパッとこれまでの行動をやめてしまうところや、最後の洗髪のシーンで泡を流すのが中途半端だったのにごまかすところとか。途中に出てくる散髪を嫌がる子供への対応や最後のダンスのシーンの男ともコミュニケーションを交わすところは、お互いに何かしら障害のある人だったのではないかと思ってしまいました。そう考えるとみている最中に引っ掛かっていた違和感が、スッと解決するように思います。もしかしたらただの思い違いかもしれませんが。。今日はこんなところで。